「関ヶ原の戦い」を簡単に解説

関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いは戦国時代の中でも非常に有名で名前だけは知っておかないと恥とも言えるほどの規模の岐阜で起こった戦いでした。

規模としては総勢17万人で、両軍ともに何万人も揃うほどです。

この17万人を現代で例えるなら東京ドームに5万人は収容出来ますから3倍分の人が最低でもいることになります。

そんなに多くの人が戦っている事なんて想像出来ませんね。

また、「関ヶ原の戦い」という事を知っていたとしても誰が出てきて何が起こった戦いなの?と、あまり知らない方もきっと多いはず。

ここでは関ヶ原の戦いを超絶に分かりやすくまとめて解説しています。

簡単に言えば2人のおっさんの陣地の奪い合い

関ヶ原の戦いを解説するには分かりにくいので、2人のおっさんという事で解説していきます。関ヶ原の戦い当時にはもうおっさんになっていた年齢なので2人のおっさんという事にしておきましょう!

関ヶ原の戦い自体は豊臣秀吉が死んでから石田三成のオッサンと徳川家康のオッサンの2人との天下をかけた戦いです。

元々はどちらも豊臣秀吉派でした。

しかし、豊臣秀吉の女性関係が絡まってバトルすることに。

豊臣秀吉の死後に正室と側室とで揉める事がきっかけとも言われていますね。

今で言えば正室が妻で、側室は愛人です。

今では許されませんが、昔は子孫繁栄の事も考えられていて側室という制度で愛人みたいな存在が認められています。

当時の徳川家康は59歳で石田三成は40歳。

この年齢ならもうオッサンと言えますよね。笑

東軍の圧勝の理由とは?

人数や勢力から考えればどう考えても東軍は不利な状況で、開始から始めに高い城から制圧していた為に非常に有利とされていた西軍でしたが、まさかの東軍が圧勝に終わります。

その大きな理由として裏切り者がいた事、戦いに参加しなかった者がいたからです。

裏切り者が石田三成の近くの城にいた小早川秀秋だったんですね。

そして小早川秀秋がいた松尾山では関ヶ原の戦いを全て見渡せるほどの高さでした。

本来なら石田三成と一緒に徳川家康を倒しにいく所ですが徳川家康との間に恩があり、関ヶ原の戦いの前に裏切る予定で話を進めていました。

また、裏切りの他にも参加しなかった者がいたので関ヶ原の戦いでは西軍が10万人とされていますが戦いにちゃんと参加していたのは3万人のみです。

これには石田三成の人徳が関係していての結果でしょう。

その結果、戦いの当初は西軍がとても有利とされていましたが、東軍が有利となり大逆転で圧勝して終わっています。

関ヶ原の戦いから学ぶ事

あなたの周りに本当に助けてくれる人や味方になってくれる人はどれだけいますか?

人数が多ければ多いほど何事にも有利でしょうが、それが本当に絶望状態になった時に味方になってくれる人がどれだけいるのか?ですよね。

普段から友達だと思っているような人でも向こうの本心はどうか分かりませんね。

また、家族の中でも身内の中でもお金が原因で揉める事もあったりします。

信用は少しずつ積み上げることでしかされませんが、崩れる時はほんの一瞬ですよね。

お金も貯めるのは毎月毎月必死にならないと貯まりませんが、使おうと思えば一瞬なんて経験はありませんか?

何事にも毎日毎日、普段からの行動や言動が大切という事ですね。

そして最後に女性の力は本当に恐るべしですね。笑

byおしょう

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