有名人気戦国武将の性格や特徴、名言

歴史は繰り返すともいわれるほど同じ事の繰り返しをずっと昔からしています。

財産や裏切り、友情、名誉など求める事は人それぞれなので、これから先も人間界がある限り繰り返すでしょう。

私も昔から仲が良いと思ってきた友人に、当時ミニ四駆が流行っていて、改造などを必死に頑張り大事にしていたミニ四駆のパーツを盗まれた事があります。

当時はショックでしたが、この子はその程度かと思うようにもなりました。

また、それほど仲が良いとはならないぐらいでしたが、頻繁に遊んでいた友人にもその年のお年玉を盗まれました。

当時の年代の数万円は大金でしたので、盗まれたと気付くまでは必死に探し回ってました。

当然激おこプンプン丸になると思われるので親には言えませんでした。

当時は子供ながらにも盗まれる事に腹が立つというよりもミニ四駆のパーツを買ってくれた親、お年玉をくれた親戚の人の事を思うと腹が立ちました。

当時のように命が関わるような話の規模とは全然違いますが、裏切られるような事は昔から今でも続いてますよね。

今でもお金が絡むと親族でも殺したり、絶縁するぐらいですからね。

親友と思っている人は本当にあなたの事を親友と思ってくれているのでしょうか?

前置きは長くなりましたが、ここでは有名で人気の戦国武将の性格やどんな事をしてきた人なのかなどの特徴や名言など盛り沢山で紹介したいと思います。

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織田信長

織田信長

天下統一に一番近い男と当時されていて、情報戦略で次々に領土を奪っていっていました。

経営者の多くの人も織田信長に憧れたり好きな人は多いですね。

当時、外国から鉄砲をいち早く取り入れたり、新しい事や良いと思った事はなんでも取り入れるといった柔軟性と引き出しの多さは光るものがありました。

現ソフトバンク代表の孫正義氏の経営はタイムマシン経営と言われていて、iPhoneをアメリカから持ってきて代理販売してスマートフォンを日本に流行らせたりと似ている所があったりしていますね。

有名な名言としては「是非に及ばす」で、本能人の変で織田信長が自害をする前に言った言葉とされています。この名言は仕方がないという意味です。

この仕方がないのはどんな事に対してなのかは色々な意味がありますが、歴史に興味のある方は各自調べてみて下さい。 ※伝えたい事が多すぎて止まらないぐらいにとても長くなりそうなのでここでは省略させて頂きます。

織田信長は嫁いでいった妹がどうなろうとも、天下統一といった目標だけを見て事を成しているのが中々常人では出来る事ではありませんね。

豊臣秀吉

豊臣秀吉

猿のようなビジュアルで織田信長の側近として数々の戦を共にしてきました。本能人の変後、中国地方で戦っていた豊臣秀吉は中国大返しとも言われる超速で明智光秀を追って帰ってきます。

秀吉が追い詰めた結果、明智光秀は13日間しか天下が取れなかったようです。

そして、持ち前の潔さを活かして織田信長が果たせなかった天下統一を果たす事になります。

豊臣秀吉と徳川家康は一度戦っていて引き分けになった過去がありますが、それ以後、豊臣秀吉の天下統一に大きく関係するのは徳川家康に頭を下げて力になってもらった事が大きな要因と言えます。

数年後天下統一を果たした豊臣秀吉は病気で倒れて病死しています。

死ぬ前に遺言として側室との間に生まれた息子の秀頼に将来を託し、その秀頼のサポートをしてくれと側近の石田三成に言っています。

徳川家康

徳川家康

八方美人な性格で誰にでも良い顔をするような武将でした。

天下統一を長く維持して江戸幕府を起こした人でもあります。

また、健康オタクであって当時は人生50年とも言われていた時代に80歳ぐらいまで生きたと言われるぐらいでした。

徳川家康を一言で表すなら大器晩成型です。

ずっとずっと欲を我慢して自分の出番が来たと確信した所で突撃するといった人です。

徳川家康は誰にでも媚を売って味方にした人は多く、小早川秀秋もその一人で、それが功を奏して関ヶ原の戦いで石田三成を撃退する事に成功しています。

あなたの周りにもそんな人はいるのではないでしょうか?上司の前では良い顔をして、チャンスが来た時には散々お世話になった上司を裏切り自分は昇進するような人。

徳川家康は小太りでしたが、戦国時代は痩せている人よりもスタミナなどの関係性から小太りの人の方が寿命が長いとされています。

徳川家康を見ているといつでも真面目に生きている人は損だな〜と感じさせる人と思いました。

真面目に生きる事が決して悪い事ではないので人それぞれですが、私はそう感じました。

徳川家康のような生き方は会社のような組織で例えると部下には好かれないかもしれませんが、上司や取引先には好かれるタイプではないでしょうか。

コツコツと実績や信頼を積み上げて努力した面においては個人的に尊敬しますね。

石田三成

石田三成

徳川家康の過去を説明するのには外せない存在となるのが石田三成です。

そして豊臣秀吉の側近として政治力、計算力の高い人でも有名でした。

豊臣秀吉の言う通りに最後まで豊臣家の存続を願って男を貫き通した義理が物凄く堅い武将です。

政治的には太閤検地を成功させて村の発展に大きく影響しました。

関ヶ原の戦いでとても有名で、徳川家康と戦う事になりますが敗戦してしまいます。

最後には負けを認めて逃げますが、途中の道のりで具合を悪くして倒れてしまいます。

そして道のり途中の村人に助けられますが、これ以上は迷惑はかけられないと自首をして最後には斬首されて生涯を終えます。

最後に「喉が渇いた」といって水を飲みたいと言ったところ干し柿しかなく、これならやると言われましたが、石田三成はお腹が弱くて柿は毒になると言って斬首の直前にも関わらず断っています。

最後の最後まで豊臣家の事を想い裏切らず、諦めず命を惜しまずに斬首される姿は男の中の男と言えます。

戦下手と言われていて関ヶ原の戦いでも敗れて表側ではあまりかっこいいイメージはありませんが、マニアックでかっこいいではありませんか。

私は石田三成のようになりたいと思ってもなれる自信がありませんが、こんな友人が欲しいなと思います。

byおしょう

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